個人差がある事実

人間には個人差がある。家庭環境も違うし、見た目の違うし考え方も違う。

だから他人をうらやましがったり、悔しがったりせず

ひたすら自分のステージをあげていくことに力を注いでいけばいい。

 

そういえば、人は平等じゃない。

ルックスがいい、運動神経がいい、頭がいい人、それらすべて持っている人。

教育ではこういう人には個人差があることを言わず、平等であるかのように教えられる。

 

だが、そんなことはありえない事だ。

幼いころから肌で感じる格差があった。

覆しきれないほどの個体差の暴力を味わってきたはず。

 

私は、それらを常に感じていた人間だった。

私が幼いころ、両親が離婚した。

 

「なぜ父と離れなけれはならないのか」

「なぜ友達と別れなければならないのか」

「なぜ私は何もできないのか」

 

そんな疑問が幾度と自分を襲い、そんな不安な夜は泣いた。

自分は受け入れられず周りの環境、両親、学校、社会すべてを恨んだ。

全部他人のせいにするしかいけなかったんだ、そうしないと生きていけなかった。苦しくて何度もノートに「おやしね」と書いたことか。

 

でも今はどうだろうか。今は自分で人生を切り開いていかなくてはいけないんだ。

苦しくて動けなくなる日もあるだろう、傷ついて泣いてしまうときもあるだろう。

 

そんなときだって受け入れなくちゃ。そんな弱い自分に小さな1を叩き込まなくては。

前に進みたいんだ。人を恨んで、誰かをうらやんで終わる人生なんてもう過ごしたくない。

 

負けない。絶対的に勝てない状況もあるが「負けない」

負けなければ勝てるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

何にも書きたくなかったけど

毎日更新するって決めたからやる。やると言ったらやる。

 

感情的な気の高ぶりは信用できない。

感情自体は俺自身を表すものでも何でもない。

 

文章書くのは楽しくもなんともない。けど、嫌いじゃない。

大して書けないけど、思いを表明するのは気持ちいい。

俺のこと気に入らん奴があぶりだせるし、好きな人も見えてくるから。

 

 

辛い時「これで食えんのか」と「俺はいったい何やってんだ」の繰り返しが定期。

 「どうしよう怖いよ」「もう消えたい」「何もしたくない」って言葉しか聞こえてこない。

 

俺大丈夫かな、体が全力で抵抗してきた。人生って8割がネガティブだけどそういうのを今一気にに感じている感覚、キッツ。

 

まあダイジョブだろう。ポジティブな時にネガティブに考えてオッケーだったから。

 

俺、生粋のラッキーボーイ、悪運尽きてるとっくのっとーに、いえあ。

何にも書きたくなかったけど

毎日更新するって決めたからやる。やると言ったらやる。

 

感情的な気の高ぶりは信用できない。感情自体は俺自身を表すものでも何でもない。

 

文章書くのは楽しくもなんともない。けど、嫌いじゃない。

大して書けないけど、思いを表明するのは気持ちいい。

俺のこと気に入らん奴があぶりだせるし、好きな人も見えてくるから。

 

 

「これで食えんのか」と「俺はいったい何やってんだ」の繰り返しなんだ

 

「どうしよう怖いよ」「もう消えたい」「何もしたくない」って言葉しか聞こえてこない。

 

俺大丈夫かな、体が全力で抵抗してきた。人生って八割がネガティブだけどそういうのを今一気にに感じている感覚。

 

まあダイジョブだろう。ポジティブな時にネガティブに考えてオッケーだったから。

 

俺、生粋のラッキーボーイ、悪運尽きてるとっくのっとーに、いえあ。

文章むずいしタイトル考えんのもむずい。~欅坂46を添えて~

文章書くの、ムズすぎな?

 

何をどう伝えたいかが分からないし、いい文章書こうって思うと余計に書けない。

恥ずかしくて書いては消す、書いては消すの繰り返しだよ。

 

ブログの目的は「考える力をつける」で一貫しているけども、その「考える」が疲れてできない。深掘りができてない。

どうすりゃいいんだろうな。上手く伝えようって思いすぎなんかな。

 

 あ、今思ったんが「つまずきを言語化して人に伝える」ってとこから始めるのがいいかも。

 

「いつどこで何をどのように悩んでいます」って正確に文章化できる人、思いのほか少ない。

難しい世の中だからさ、「つまずいてるのは分かるけど、何が理由でつまずいているか分からない」って人がおおいなあ。まあ俺がそれなんだけどさ。それで生活できるのはなんやかんや解決するorあきらめるからかな。

 

もったいねえな。なんていうか、魚でいうと捌いたあとに出るアラを捨てちゃうくらいもったいねえ。アラ汁飲めるチャンスを捌くたびに逃してる的な?微妙に違うか(笑)

 

文章が難しくて悩んでんじゃん?んでなんとなく「どうすればいいですか」って質問する。一悶着合って解決する。

問題はこの後、なんでつまづいたのか、自分にはどういう傾向があるのか考察することが大事だと思うんだ。ここに思考のうまみが詰まってる。

 

んーなんだろう、刺身が食えればそんで言って人ならご自由になんだけとさ、もっと高次元の例えば「家族に美味しく食べてもらいたい」とか「居酒屋のメニューを広げたい」とか思ってる人が、捌いた後のアラを見ないのは宝を捨ててるに近い。

 

文章で考える力をつけ生き残りたいと願うなら、文を生み出した後にこそよく見なきゃ。そこに活路あるんじゃなかろうか。

 

 

ちょーしのりやすし我。魚のアラをよく観察しな。あ、欅坂は何の意味もないです。すいません。

ちゃんちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼロの自分を真っ先に肯定し、揉みしだく。

よっ!気が向いたから書いてみる。

 

最近になってTwitterのフォロワー増やしはじめた。

何のためか、それはなるべく働かないような人生を構築するという目標のためかな。

知識とか全然ないし、人に影響されやすいからまた変わるかもだけど今は、それが一番俺にしっくりくるかな。

 

飛びぬけてすごい経歴を持ってるわけではないし、まあいわゆる「普通」の人生を歩んできてたんだ。

そんな人間が生きてた中で最も忌むべき存在といていた無職を選択しようとしている。

あほだと思ってる。先のことなんて考えてない行動だ。

見ているのは一歩踏み出す足場があるかだけ。

 

多分、俺みたいに「普通」の価値観で生きてきた人間は

「普通に」会社勤めして

「普通に」家庭を築いて

「普通に」老後を過ごし死んでいくのがよかったんだと思う。

 

けど、それってさ、オープンワールドのゲームで最初のステージを延々とやってるくらい、つまんなくね?

 

先のことなんて経済の専門家ですらコイントスするレベルでしか予測できないんだからさ、俺ら凡人に予測なんぞ無理に決まってる。

 

そんなんよりさ、不確定要素があることが真理だと受け入れて、今できる最大の幸福を追求していくほうが建設的だと思うんだ。マジで。

なんだろう、切り札として「自ら選んで困窮者になる」ていう選択肢を作ってもいいと思う。

 

後ろから押されてプールに入るのと自分から飛び込むのってどっちが前向きかな。

 

そんな話。

 

p.s.今の俺には500字くらいが玄界灘。おっぱい揉んだらあと500字は夜に駆けると思うんで揉んでもいい方、もませてくださひ。

 

 

 

 

 

 

 

働く理由がない。働くっていうのは何かを得たいからする行動であって目的をもっていない人間は今の時代、働く意味がない。

 

現代は、特に日本は物質的に極めて豊かな国だ。金銭を手に入れるより物を手に入れるほうが楽。分かりにくいから説明すると、「20円ください」と言われるとちょっと抵抗があるが「タバコ一本下さい」と言われると9割近くの人が抵抗なく渡す。

 

ということは物を得る手段として機能していたお金は子のあたりで意味が薄くなってくる。

 

時間はお金を生むことが出来るが、お金は時間を生み出せない。生み出したように見えているものは、限りあるパイの割合がわずかに増えただけだ。

 

もちろん、「綺麗で広い家に住みたい」だとか「家庭を持ちたい」のような目的がある人は仕事をするべきだ。

 

俺にはほとんどない。ので捨てられる。ばいばーい。

退屈は死に至る病

退屈だ。あー退屈だ。退屈だ。五七五にしてもだーめだ。

私がなぜ退屈について書こうと思ったかというと、退屈だからに他ならない(笑)

去年の今頃からこの夜勤12時間のセルフガソリンスタンドで派遣請負の仕事を始めた。

どーせこの記事ほとんど見られないと思うので本音を少し書いてもいいよね、うん、書きたい!



思い返すとあの頃は本当にあほだったかもしれない。「起業起業!人生変える!旅に出るんだ!」とか言って仕事辞めたなあw

あの時の行動力は凄まじく承太郎の『スタープラチナも月にぶっ飛ぶ衝撃』を身に携えていた。



今、昔の自分に言えることとしたら

「消防士は辞めてもオッケー、だが起業に囚われるなよ甘い言葉にホイホイついていくなよ、旅は勝手に行け」

かなw

なんだろう、消防士の職場関係と親族の圧力のダブルパンチがきつくて、逃げたかったっていう事実の隠れ蓑に「起業」とか「世界を旅するんだ」

とか言ってたなと思うんだよね、思うんだよねって誰に言ってるんだかw


まあ逃げの口実に便利だったんですよ、だってカッコいいし且つ、他人のせいにしてないからあくまで自己理由ですっきり行けるだろうって。

そんでビジネスのこと、学んで起業を楽に見積ってた。

マジでわからん、そして挫折。

ちゃんちゃん。


ンで今があるって感じだ。

退屈すぎるこの毎日に恐怖と不安を覚えながらTwitterで思い付いたことをつぶやく日々。

飽きるほど仕事中に見ていたYouTubeもつまらない惰性の法則で見てる。

怖いなぁ。



この退屈には意味がある、と思ってないと死んでしまうのだけれど。退屈になったときこう考えてほしい。「ああ、これが僕・私なんだ」と。

何かに集中しているときの自分は美しく見える。そんなん当たり前だ、右足出して左足出すと、歩けるくらい当たり前だ。

言いたいのは全部が自分なんだから受け入れな、無力な自分を抱えて歩いて行けよ、ってことよ。うん。


退屈だと思ったならなんか少しやってみてゼロから始める異世界生活みたくいこうゼ☆



退屈はそのままにしてると死人になる危険があるけど、分かったときに何か行動起こせば生きる肥やしになるよ!ってお話でしたぁ!(そんな話だっけ)


以上!